文化庁があいちトリエンナーレの交付金を
出さないことにしたことが問題になっている。
表現の自由と公共の福祉のせめぎ合いになるが、
わしは公共の福祉を拡大すると、表現の自由の
幅が狭くなり、それを国家が推奨することは、
巡り巡って公共を侵食することになり、
危険だと思う。
そもそも少女像や昭和天皇の写真を燃やす作品が、
芸術のはずがなく、反日プロパガンダでしかない
クズであり、こんなものに抗議したり、
過剰反応するから、価値を高めてしまう結果に
なっていく。
無視しておけば良かったのだ。
右派は左翼の罠にはまっている。
あんなクズ展示会より、わしのゴー宣
「少女像は神聖不可侵じゃない」の方がはるかに
凄い作品である。
それをSPA!が掲載拒否したので、WiLLに
掲載してもらったが、それを読んだ人たちは
「笑った、真実が分かった、面白かった」
という意見が圧倒的である。
それを掲載不可にしたSPA!の方が日本の表現の
自由にとって大問題のはずだ。
誰から来るかも分からぬ抗議の幻影に怯えて、
作品の掲載を拒否するというところまで、
雑誌は表現封殺に走ってしまっているのだ。
表現の自由を侵すのは、権力だけではない。
民間人による抗議が表現の不自由を
促進するのであり、抗議やポリコレが
表現の不自由を加速させているのだ。
抗議はテロであり、出版界はテロに屈する。
覚悟を問うても無意味である。
雑誌が売れない出版界にとって、抗議は
生命維持装置を引きぬく行為に等しい。
抗議はテロである。
執筆拒否宣言もテロである。
表現の不自由を加速させ、民主主義を
窒息させるのは抗議テロである。
わしは一人で百人を相手に議論してもいいと
言ってるのに、ボツにされる。
わしに覚悟があってもムダだ。
出版界が衰退しているから抗議が一番効く。
わしは表現の自由を徹底的に守る!
わしが嫌な表現でも守る!
それは宣言しておく!